【人生編】青年隊での生活なんと!その日からそこで生活するのです。 「知らん!そんなこと聞いとらん!!!」心の中で叫びました。 人数は40名、寝るところは40名を収納する大きなプレハブ小屋です。 その中には鉄パイプでできた二段ベッドがずらりと並んでいました。 自分のスペースは自分のベッドと個人ロッカーだけです。 映画で見た「大脱走」の一場面を思い出しました…。 一日の始まりは大きなベルで起こされます。 非常ベルをイメージしてください(笑) それも朝5時になんの前触れもなく、いきなり鳴り響くのです(なにごと!) 起きるなり、ふとんを決められたとおりにきれいにたたまなければなりません。 抜き打ちチェックがあるのです。ここはなに? きれいにたたんでなければもちろん罰が… そして全速力で点呼場(野外)に集合! 整列して点呼(いち、にい、さん、と自分の番号を大きな声で叫ぶのです)が始ります。 人数確認をして脱走者がいないかを確認して最後に敬礼をしながら国旗掲揚です。 国旗を揚げるのは当番制でした。 ある馬鹿なやつがいて国旗のロープを途中で放してしまい下まで落としてしまいました。 そいつは炎天下の下、夕方までグラウンドを走らされていました(泣き…) 点呼が終わるとそのままランニングが始まります。 毎日10キロは走らされていました…(地獄) 帰り着くと掃除作業が始まります。 たまげたのが便所は当時、汲み取り式でした。 その便器をぞうきんで手でふきあげるのです。 小便器もです…。 そのおかげで私は今、大抵の物が触れるようになれました(笑い)。 終わったら食事です。 なんと麦飯でした… 私は初めて食べました。 麦飯ってすぐ腹が減るんですよ…知ってました? 昼間は現場作業、夜は眠りかぶりながらの授業で終わります。 施設内には自動販売機すらありません。 酒、たばこは禁止、施設で出される食事以外はたべることを許されません。 当時の体脂肪率はたぶんアスリート並みだったと思います。 なにか問題があったら連帯責任で全員に罰が与えられます。 たとえば真夏の炎天下の下で砂利の上に正座とか…。 一番悲しいのは月に一回の帰省(一泊二日)もなくなります。 自衛隊どころではなく刑務所なみの生活でした。 (ちなみに刑務所にはお世話になったことはありません。あくまでも推測です。) その中の思い出で「牛乳パン事件」があります。 そんな厳しい生活の中でもつかのまの休息時間もありました。 人目に付かない校舎の裏で仲のいい連中とくっちゃべっていました。 もちろん食い物の話です。いつも腹をすかしていました…(泣き) そうしてると目の前を学生が通りました。 私は思わず学生を呼び止めて「おい!このお金でお菓子を買ってきてくれ」と1000円を渡しました。 学生はいきなり声をかけられ、そんなことを言われたので白目をむいていました。 当時、私たちは人から見れば「角刈りの悪魔」に見えたことでしょう。 学生は1000円を握りしめ走り去っていきました…。 あいつは戻ってくるかな? と心配してるとなんと紙袋を持って走ってきました。 戻ってきてくれたことよりも「どんなお菓子を買ってきたのか」がうれしかったです…。 お礼を全員で言って袋を開けて「はぁ〜…」 中には牛乳パンが一個…。 パンでもいいけどなんでよりよってこれなの?? 金額もどう考えても100円くらいでしょう…。 ちっくしょ〜 でもみんなで分け合い、口に運びました。 その牛乳パンがおいしかったこと!今でもそのおいしさを覚えています。 しかし、今どんなに高い牛乳パンを食べてもそれなりです(笑い) ここまで読んでいると普段の食事が質素だったで終わります。 これでは事件になりません。 事は次の日に起こりました。 その学生が先生にちくったのです…。 当然、大問題になりました。 連帯責任が待ってます(恐怖) 全隊員、意識がなくなるまでグランドを走らされ、腕立て伏せ、いろんなことを…。 そんな意識が薄れていく中で「おつりはどうした?」と… しかしあの牛乳パンは最高でした。 同窓会でもこの話は持ち上がり、みんなおいしかったと…。 当然食べていない、連帯責任で走らされた連中からは非難の的です。(すまん) そんな生活をしていくなかで「なんでここまでするのかな??」と感じながら そして、私はここの真の正体を悟るのです。 つづき |
